知足です。
 新型コロナウィルス感染症のため、いま世界は様々な困難と向かい合っています。
 あたりまえの日常に前触れもないまま亀裂が入り、非日常のはずの日々が、いつの間にかニューノーマル(新たな日常)と呼ばれています。 私の勤務先も閉鎖され、リモートでの授業や会議が行われているところです。
 緊急事態に伴う制限が緩和されたとしても、私たちの心に刻まれた「潜在的な恐れや不安」を、完全に拭い去ることは難しいかもしれません。
 アートは、見えないものを形にしてきました。表現されたもの(鬼、妖怪など)によって疫病や死を理解し、共に生きてきたのです。また、祈りや救いのイメージによって苦難の淵から浮かび上がり、再び歩き出す契機としてきました。私の手と心でできることを、少しずつやっていこうと思っています。

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 自粛期間中、私は自宅で作品を彫っていました。道具と騒音の問題もあり、手で刻める小さな作品です。
 今年の2月。以前、被災地の朝倉市(杉岡世邦さん所有の杉林)に植樹していた山桜の近くに、砂防ダムが造られることになりました。そこで、その山桜を移動させることになりました。
 朝倉市に到着すると、復興支援団体の杷木ベースの望月さんからお電話が入りました。たまたまその時、杷木寒水(そうず)地区の方々が集まっており、「豪雨で流された大師像と観音様を作ってもらえる人を探している」というのです。(福岡市と朝倉市は、高速で1時間半くらいのところにあり、電話をしてすぐ私が現れたことを、地区の方々も驚かれていました)
 寒水地区の1人の女性が、豪雨災害の日の不思議な出来事を語ってくださいました。「豪雨に怯える中、白い影がみえました。その人を心配して歩み寄ると上に登る階段があったのです。上がった途端、背後から土石流が流れ込み、間一髪で助かりました」というのです。「災害後、辺りを探してもそのような方はおらず、きっと神仏の御加護だったのだと思います。その付近で流されてしまった祠を再建したいのです」とのことでした。その中には大師像と観音様が祀られていたのだそうです。

 このような経緯で、私は、被災地のために小さな大師像と観音様を作ることになりました。
 素材は、災害直後の2017年7月に、朝倉市の流木集積所で、ピックアップした檜(ヒノキ)です。→2017年7/26ブログ

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 自分なりによく考えました。大師というのは「行基​(668-749年)」のことなのではないか、と。大師とは、偉大なる高僧を指します。朝倉市には、行基が作ったとされる日本最古の木造建築「普門院」(国指定文化財)があります。以下朝倉市役所のHPからの抜粋です。

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普門院は、天平19年(747)聖武天皇の勅願をうけ、行基が筑後河畔に創建したものが、度重なる水害のために現在地に移築されたものと伝えられています。
 本堂は『筑前国続風土記』に「この寺の仏堂広からずと雖も、その営作の精巧なること国中第一なり」と記されており、桁行三間梁間三間の宝形造りで、総本瓦葺き、四周に緑をめぐらせています。

 行基は、東大寺大仏の開眼を行った僧侶として有名です (しかし若い頃は、政治と宗教の分離を主張したり、階層を越えて困窮者を救い布教したため、朝廷からは弾圧を受けていたそうです)。特に灌漑・治水工事を行い、水害から民衆を救ったことの功績​は大きいです(→「行基による公共事業」)。
 唐招提寺の行基像は蓮の葉を持っています。蓮華は仏教の象徴ではありますが、行基の蓮の葉は、水害から人々を守ったことを示唆しているように思えます。

 行基に関して、実際に平安時代に渡来した仏教者を、福岡(太宰府)でお迎えしたという記録があるそうです。行基が、普門院建築ともに、水害が多い筑後川沿いの杷木に、治水技術を伝え、民衆の尊敬を集めた可能性はあると思います。

 自宅で彫っていると最後の仕上げまでなかなかできませんが、途中経過の写真を添付します。蓮の葉は、英彦山の鹿の角から彫り出しました。

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 行基像は国内に数点しかなく、そのほとんどが高齢の僧侶の姿で表されています(木喰も彫っています)。この像の意匠は、英彦山の天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)像を参考にしてつつ、童子や地蔵菩薩のような癒しのイメージも表現しました。私は2016年に、英彦山神宮奉幣殿再建400年記念事業の一環として鎌倉期の《彦山三所権現御正体》を復原したことがあります (→現在、奉幣殿の御神体)。この天忍穂耳命像はヒシャクを持っていますが、行基像に通じるものを感じました(画像左)。また朝倉市杷木(はき)地区は英彦山の神領だった時代もあり、ご縁があるのではと思います。*復興アートガーデンを制作している黒川地区も、同様に英彦山神領でした。→黒川復興ガーデン

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 「杷木神社縁起」では、「アメノオシホミミ命が、オオナムチ命に農業の知識と馬杷を授けた。オオナムチ命が大きな檜の枝にその馬杷をかけ、そこに鎮まり給うたのでそこを把の来た山(把来山)と呼んだ」というのが、杷木の由縁だそうです。山桜移植でお世話になった杉岡さんに、天忍穂耳命と行基を参考にしていると伝えたところ、この縁起を転送してくださいました。

 これから十一面観音菩薩像作りを行います。観音菩薩の中で、十一面観音は、水害から救済してくれるお力があるそうです(水瓶をもっている)。ただ、私は仏師ではないので、「形式通りの仏像にならなくても大丈夫ですか?」と寒水地区の満生会長に確認したところ、「人々の心を癒してくれるものであれば良いのです」と言ってくださいました。被災地支援はもちろん、疫病に苦しむ世界の人々の平安を祈り、心をこめて作りたいと思います。



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