知足です。

 土の宿発行の「ぐすくやま通信」の記事として、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)に関する状況について女性の視点から語ってほしい、と依頼されました。女性として、というより一人のものづくりとして、「先のみえない物語によりそい、共に生きる いのちとアートの視点から」という題目の文章をまとめてみました。ご遺族の方々のお気持ちを考えるといたたまれず、思うより執筆に時間がかかりました。

 *沖縄・伊江島にある「土の宿」(1984年~)は、画家であり脳性麻痺をもつ木村浩子さん(82才)が始められた民宿です。障がいのあるなしに関わらず「共に生きる」ことを学び合う場になっています(以前NPOでしたが、現在は任意団体として活動されています)

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「先のみえない物語によりそい、共に生きる いのちとアートの視点から

 新型コロナウィルス感染症(COVID-19)のため、いま世界は様々な困難と向かい合っています。あたりまえの日常に前触れもないまま亀裂が入り、非日常だったはずの日々が、いつの間にか新たな日常(ニューノーマル)と呼ばれています。今後、様々な制限が緩和されたとしても、私たちの心に刻まれた「潜在的な恐れや不安」を、完全に拭い去ることは難しいかもしれません。

 近代以降、全世界がこれほど深刻に「いのち」をみつめ、考え、同時に行動を変容させたことは稀です。このような状況下で、先の見えない不安や悲しみに寄り添い、敏速に対応した女性リーダー達の評価が高まっています。ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相、台湾の蔡英文総統、ドイツのアンゲラ・メルケル首相などです。彼女たちに共通することは、いのちを重視し、当を得た政策実行への決断が早かったこと。さらに、国民の心情を理解し、自分の言葉で語りかけ伴走する姿を貫いたことです。国民一人ひとりが、真心のこもった彼女たちの言葉に応え、感染爆発を抑えるために行動しました。(政策自体の是非はまだ判断できないものの)政治は人々の「イメージ」の総体であり、いのちを中心におく政策には人を動かす力があることが示されました。


 もちろん、これまでも気候変動や環境汚染など、いのちに関わる世界的問題は山積みでした。それらと今回のコロナショックの違いは、問題の核が他人事ではなく、自分や家族に直接関わること、つまり「わがこと(いのち)」として強烈にイメージされた点なのです。

 いまや全世界の人々が、コロナウィルスを常に心でイメージしながら動いています。恐れの対象は、現実世界に潜む「目に見えないもの」です。見えないがゆえに、疫病問題は「心のありよう」に甚大な影響を与え、精神を消耗させます。行き過ぎると、差別や偏見を生んでしまう場合もあるのです。

 歴史的にアートは、見えないものを形にしてきました。日本においては鬼や妖怪などの表象によって、疫病を目に見えるものにし、受け入れながら共に生きてきました。例えば、疫病が流行っていた永観2年(994)、比叡山の高僧・元三大師(良源)が鬼の姿となり疫病神を退散した姿は、疫病除けの御札となり、民衆の心の支えとなりました。


元三大師と角大師(出典『天明改正 元三大師御鬮繪抄』)

元三大師と角大師(出典『天明改正 元三大師御鬮繪抄』)


 海外でも1347-1350年にペスト(黒死病)が大流行し、ヨーロッパ人口の約1/4が亡くなりました。メメント・モリ(死から学ぶ)という概念や、人間の命を賛歌するルネサンスなどの芸術動向は、このペスト流行が契機となり生まれたと言われています。アートは「疫病の恐怖」や「祈りや救い」を形にすることで、先がみえない不安に終わりをつくり、問題の出口のイメージを与えてきました


 「いのち」をテーマに取り組んでいる私の現在のアート活動を2つほど紹介します。ひとつめは、《黒川庭園とバイオアート》です。九州北部豪雨災害復興として「被災地が命を思う美しい場として再生する」ことを願い、アートガーデンを制作しています。災害由来の岩石を庭の要素とし、流木で東屋を作り、花や木を2年かけて植栽しました。「木を植えることは、未来を想うことなんですね」という参加者の感想が、心に残っています。庭に根付いた苗木をみていると、「困難に遮られたように見えても、断ち切られないものがある。どんなに絶望しても心を失わなければ、いつか若葉が芽生える」と伝えてくれているような気がします。


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 二つめは、自粛期間中に自宅で制作している小さな2躰の仏像です。騒音に留意しながら、手刻みで少しずつ制作しています。九州北部豪雨災害の被災地である朝倉市寒水(そうず)地区の方々からお願いされたものです。被災木のヒノキから彫り出してします。この小さな作品が、災害や疫病による先が見えない不安に寄り添い、人々を癒し、励ましてほしいと祈りながら作っています。


寒水


 孤独と不安に苛まれる自他の心を救うには、決断し実行する強さが必要です。その強さとは相手をねじ伏せたり、脅したり、責任を押し付ける力ではなく、愛やユーモア、共感する姿勢、創意工夫を重ねる勇気であってほしいと思います。それぞれの痛みをいたわりあい、「いのち」を主軸にする社会にシフトすることを願いながら、少しずつ共に歩き出しましょう。



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    ヴォルフガング・ライプ「花粉を集める」      


  ヴォルフガング・ライプ「花粉を集める」(訳・小野正嗣 2020年5月31日)の言葉がよかったので共有します。

 *花粉を使うアーティストとなったヴォルフガング・ライプがNHK日曜美術館に寄稿した文章です。

心に染みとおり、深く癒してくれました。


くる日もくる日も、何週間も、

タンポポの草原に座り、

この上なく集中して、

激しく時間も我も身も心も忘れて。

信じ難く思いもよらない世界の危機と混乱のただ中で。


ひどい病に罹り死にゆく数多くの人々。

新しい疫病。

600年前のような疫病が再び起こるなんて、とても想像できなかっただろう?

今、この私たちの生活の中に、そばに。

それでもなお、危機は大きければ大きいほど、

人類に新しい未来をもたらし、

どこか他の場所へ向かい、他の何かを見つける手助けをしてくれた。


想像しえたものの彼方に、私たちは見つける。

新しいありようと生き方を。

私たちが望むものと、

私たちが人生に望むもの。

大切なこととそうでないこと。

慎ましさ、謙虚さ。

自分自身と他の人たちに対する、

世界に対する、

自然に対する、

宇宙に対する、

全く違う関係。

自分自身と世界への異なる願い。

新しい未来の

新しいビジョン。


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方丈板倉   斎(さい)


 安藤邦廣先生(筑波大学名誉教授)が設計された「方丈板倉 斎(さい)」についてご紹介します。安藤先生は、熊本震災支援・板倉建築による庭先避難「ち

いさいおうちプロジェクト(2016年~)」において、中心となられた建築家です。九州北部豪雨災害復興支援に加え、「コロナ禍からの避難」として朝倉の杉岡邦廣さん(杉岡製材所)の敷地に「方丈板倉 斎(さい)」を建設されることとなりました。安藤先生と杉岡さんは、森林と建築と暮らしの関係について、板倉を通じて世に大きく問うてくださると確信しています。心から応援申し上げます。


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方丈板倉  (さい)

危機を生きのびる想像力、新たな生き方とすみか   

安藤   邦廣  
                建築家
日本板倉建築協会代表理事
筑波大学名誉教授 
        2020年6月5日 
 
人類は生きのびるために大きな転機にさしかかっている

急速に拡大してきた大都市への集中から山野田園への分散が今始まる

それは密集閉鎖居住から、分散開放居住への転換でもある

20世紀末から、日本列島は地震、津波、噴火、台風、洪水と度重なる災 害に見舞われている

その度に、人と財が大都市へ集中することの危険性は指摘されてきたが、 その拡大に歯止めがかかることはなかった

大都市への致命的な打撃とはならなかったからである

しかしながら、新たな感染症の脅威は地球上のすべてに平等に降り注ぎ

むしろ大都市に容赦ない大打撃を与えた

大都市集中に歯止めをかけ分散居住を進めるときである

その確かな第一歩として小屋、斎(さい)をつくり始める


ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず(方丈記より)


斎(さい)とは、ものいみ   ある期間、食や外出などをつつしみ、

心身を清めることおよびそのへやの意味なり

斎(さい)は母屋を補い

あるいは働くために

あるいは楽しみのために

あるいはひきこもるために

あるいは災難から身を守るために

あるいは祈りと安らぎのために
母屋と離れてあるいは庭先にあるいは山中にあるいは海辺に建つ

その土地にあわせて容易につくれるよう

どこにでもあり運ぶに軽いスギ材をもってつくり

組み立て解体自在な板倉構法となす

その大きさは方丈(3m 四方)

屋根は茅であるいは樹皮であるいは土で葺く 

その姿は里山のごとし


淀みに浮かぶうたかたは

かつ消えかつ結びて久しく留まりたるためしなし 

世の中にある人とすみかと、またかくのごとし(方丈記より)


 今から800年前、平安時代の終わり頃、京の都は地震、台風、竜巻、 大火、飢饉と度重なる災難に襲われ、400年間にわたって繁栄した平安京はあっけなく崩壊した。その有様に無常を感じた鴨長明は京都南部の日野山中に閑居隠棲して方丈記を著した。その閑居が一丈四方であっ たことにその書名の由来がある。自ら作事したこの小さなすみかに、長明の無常観と生き様が見事に表されている。
 それから400年後の戦国時代、再び動乱の世の到来で、千利休は四畳半、小間の草庵茶室を考案し、戦乱で荒廃した社会と人の心に救いと安らぎを求めた。その草案茶室は数寄家造りとしてその後の日本家屋の原型となった。

 それからさらに400年が過ぎ、ふたたび大地震と大津波、台風と洪水と度重なる災害に加えて新たな感染症の脅威にさらされている。

 今こそ我々はこれらの先人の知恵に学び、新たな生き方とすみかを想像しなければならない。

 方丈板倉斎(さい)はその小さな一歩であるが、大きな危機を生きのびる想像力を呼びさますであろう。