[旧大内邸の母の膳]
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知足美加子「母の膳」2020年

 知足です。11月23日に、彫刻「母の膳」を、八女市にある旧大内邸におさめにいきました。田中真木さん(84歳)をはじめ「あしたの会」という草の根の国際交流を行う団体の方々から依頼された彫刻でした。八女市は、九州大学ソーシャルアートラボでも支援を行なっているところです。
(→彫刻紹介ページより) 福岡県八女市に「白城の里、旧大内邸(→HP)」という古民家(1884年~、立花町有形文化財)があります。海外との交流に尽力した大内暢三の生家で、生涯学習・文化交流・地域振興の施設として活用されています。「白城の里 旧大内邸生活文化研究会」会長の田中真木さん(→紹介記事)は、メンバーとともに、大内邸を訪れるの方々のために「母の膳」と名付けた季節の料理をふるまっていたそうです。ここには、約90年間引き継がれた糠床もあります。私は、田中里佳さん(デザイナー)のご紹介で、旧大内邸の敷居を跨ぎました。(中略)たくさんの方々を料理(母の膳)で幸せにし、あたたかい思いが行き交う場を作ってこられた田中さん。その日々の行いや思い、時間の厚みが、彼女の後ろの空間にひろがっているようでした(中略)。私は「田中さんそのものではなく、母の膳に携わってこられた割烹着のみなさんのイメージを総じてつくりますから」と説得し、田中さん(をモデルに制作すること)の了承を得ることになりました。制作中も、田中さんは立花町特産のキウイや佃煮など、美味しいものをたくさん届けてくださいました。その優しさに、元気をいただきながら鑿を振るいました。彫りながら、割烹着をきた優しい姿(親戚や亡母など)が、私の心を通り過ぎていきました。 料理は、食するとなくなってしまうようにみえます。でも心の奥底に、あたたかい滋養を与え、本当に辛い時支えてくれる記憶になります。コロナ禍でしんどい思いをかかえる方々に、この彫刻を通して、あたたかく優しい気持ちを少しでも届けられたら幸いです。
 彫刻を車に積み普段着でおさめにいったのですが、到着すると、立派な会場に素晴らしい手料理が所狭しと並べられていて、本当に度肝を抜かれました。真木さんと長いお付き合いがあるとのことで、八女市長や八女市職員の方も参加されてました。(→詳しくは旧大内邸のHPをご覧ください)
 私は、実際に真木さんの手料理(母の膳)をいただくことができて感無量でした。彼女は一流の料理人であり、天才だと思いました。料理を口にすると、まず素材本来の旨味に気づかされ、その後何段階かにわけて様々な味わいが広がり、調和していきます。素材の持ち味を活かし切ったお料理をいただいた後は、不思議に心身が温かく平安になります。真木さんは、何日もかけてこの日のために準備してくださったのだそうです。
 真木さんは、こう話されていました。「私はレシピをみながら作ることをしません。(レシピを)残したこともない。二度と同じものは作れません。周囲の農家の方からいただいたお野菜を眺めて、それから料理を考えます。若い部位と年取った部位では、作らなければならないものが変わったりするんですよ」素材に敬意を払い、その声を聞いて、料理を創造されているのです。(私は、漫画「トリコ」に出てくる美食人間国宝・節乃さんが頭に浮かんでいました)。真木さんの野菜料理の全てが、美しい妙薬のように心身を癒していきました。あの感動は、忘れられません。本当にありがとうございました。
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田中真木さん
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[被災銘木(鬼杉落枝・千本杉倒木)による英彦山下宮御神躰・不動明王制作プロジェクト](→説明ページ)


 英彦山神宮からの依頼で、英彦山下宮の不動明王像(御前立ち)を制作させていただくことになりました。大変ありがたく、また身の引き締まる思いです。

 英彦山には樹齢1200-1300年といわれる「鬼杉(天然記念物)」があります。英彦山修験道の歩みを見守ってきた歴史の生き証人です。その落枝(台風による)を添田町が保管していたことを思い出し、不動明王像制作の素材としての提供をお願いしたところ、快諾していただきました。飛び上がるほど嬉しかったです。枝は幹よりも硬く、また傷みも多いようですが、木端ひとつも無駄にしない気持ちで取り組みたいと思います。

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鬼杉
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添田町保管の鬼杉落枝

 鬼杉から少しあがったところに、大南神社という懸造(かけづくり)の霊場があります。英彦山修験道の文化財の多くは、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく:明治期の仏教排斥運動)の際に破壊されていますが、この大南神社の御神躰だった不動明王坐像は幸いにも残りました(現在は修験道会館で展示),
 鎌倉期の県指定文化財で、神像と仏像の特徴を兼ね備えた、神仏習合の修験道文化を表す美しい彫刻です。私はこの像の威厳ある強さと、スッキリと洗練された造形美に心惹かれていました。そこで、今回はこの大南神社の不動明王坐像を参考に制作することにしました。

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大南神社
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不動明王坐像(鎌倉期)
 高千穂秀敏宮司の御子息である禰宜(ねぎ)の有昭さんの希望もあり、生命力にあふれた力強い姿にしようと考えています。不動明王は、修験者を守る存在で、奴隷の格好をした童子の像容です。右目を太陽のように見開き、左目は月のように閉じ、牙歯も右は上、左は下を向いています。
 右手に倶利伽羅剣(くりからけん)という龍が巻きつく剣をもっていますが、これは争いの剣ではなく、理の力を持って煩悩を断ち切らせるためのものです。右手の羂索(けんじゃく)は衆生救済の象徴です。
 迦楼羅炎(かるらえん)という火炎光背​は、迦楼羅という竜を常食する火の鳥が羽を広げている姿です。光背の上部に迦楼羅の顔を配しています。
 最初の下絵は忿怒(ふんぬ)の相が強すぎたので、童子の相貌に修正しました。すると、禰宜の有昭さんに風貌が似たような気がしました。(今話題となっている鬼滅の刃の煉獄杏寿郎に似てるという話も)

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英彦山神宮の杉材と高千穂有昭さん
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(追記)
 12/3 。添田町役場が保管している鬼杉の落枝を視察にいきました。
 近くでみる鬼杉は、言葉にできないような、とてつもない「凄み」がありました。平安時代から生きている鬼杉は、もとは高さ60m、幹周12.4mの巨大な杉です (現在は高さ38m)。枝といっても幅80センチ近くあります。平成3年台風で折れた枝を職人の方と添田町役場の職員たちで山道を降ろしたのだそうです。
寒冷な気候に耐えながら少しずつ育った枝は硬く、うねりながら伸びています。キズや割れに、この枝が越えてきた風雪と年月を感じました。そのありようと迫力は、何も彫らなくても不動明王そのもので、とにかくすごかったです。来週、この鬼杉の落枝の木取りですが、いまから身震いするような気持ちです。最大限の敬意と真心をもって彫りたいと思います。

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 また、とてもありがたいことに、火炎光背の素材について(英彦山神宮の許可のもと)英彦山千本杉の倒木を使わせていただけることになりました。千本杉は、結界の実報荘厳土に、江戸時代の英彦山山伏が植林したといわれる貴重な杉です。平成3年の台風で、参道沿いの千本杉は全滅に近い状態になりました。
 2016年には、英彦山奉幣殿再建400年を記念し、私の方で、千本杉倒木によって鎌倉期の不動明王立像を復原しています(→説明ページ)。その際は神宮の方々が重い材を担いで降りてくださいました。

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不動明王立像(鎌倉期.)と、復原した不動明王(上)


これから制作する不動明王立像の火炎光背のために、今度は私やプロジェクトに協力してくださる杉岡製材所の従業員の方々、大工池上算規の池上さん親子に協力をあおぎ、千本杉倒木を担いで降りる予定です。
*剣のツカとツバ、羂索の鋳造・鍛金は石上洋明さん(福岡教育大)にお願いする予定です。←英彦山御正体(現在の奉幣殿御神体)の復原の際、鋳造・鍛金をお願いした方。

本活動の名称を「被災銘木(鬼杉落枝・千本杉倒木)による英彦山下宮御神躰・不動明王制作プロジェクト」としました。