知足です。
3月23日(土)に、九州北部豪雨(2017年)の激甚災害指定地区の一つである福岡県添田町で、復興祈願モニュメントのお披露目会がありました。豪雨災害で倒木した樹齢300年の天然記念物「吉木の山桜」を彫刻として再生させる取り組みです。添田町がクラウドファンディングで寄付を募り運営してきました。(→https://readyfor.jp/projects/soeda-sakura2018)
私は英彦山(添田町)の山伏の子孫であり、そのご縁から彫刻制作の部分で協力をしました。英彦山の守護童子をモチーフにしています。
お披露目会のご挨拶では、この彫刻の経緯(ページの下部に記載)や復興支援のための制作が中越地震(2004年)の山古志村への寄贈から始まり、ここでみた木喰の1本のイチョウから彫られた35躰の仏像に強く影響を受けたことを伝えました(→山古志村寄贈風景)
現在、JR日田彦山線の添田駅〜夜明駅が豪雨災害の影響で不通になっており、この取組みはその開通祈願でもあります。吉木の山桜の横を走る線路は、この不通区間にあたるのです。
このお披露目会の日、奇しくも東日本大震災で被災した鉄道が、三陸鉄道リアス線として復旧しました。三陸のニュースの映像をみて、私は「動き出した列車は人の心を動かし、確固たる復興のイメージを形作る」ことを感じました。不通になっている路線の復旧(列車の音、景観などが人に与える価値)は、貨幣を超えた「文化資源」なのです。私の個人的な考えですが、不通区間を「災害復興線」と位置付けてはいかがでしょうか。災害の記憶伝承、復興の取組み紹介、英彦山修験道の歴史文化などを感得できる魅力的な付加価値のある路線としての再生を願わずにはいられません。(自然を神仏として崇敬する先祖の山伏達なら、現在トンネルを掘っている釈迦岳を触ることには慎重だったと思いますが)
英彦山守護童子の彫刻制作の際、木材資源工学の藤本先生に木材の割れ防止法をご教示いただき救われました。痛みの多かった山桜の製材についてのは、杉岡製材所が真摯に取り組んで下さいました。またクラウドファンディングの返礼品は英彦山デザインLLPが山桜で素敵なキーホルダーを制作してくださいました。もったいなくて私はキーホルダーではなくお守りとしています。
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(知足の彫刻説明ページから引用)
「2017年、九州北部豪雨災害は大規模な山林崩壊(約1065万トンの土砂流出)、および約21万トンの流木被害を引き起こしました。
その際、英彦山の麓に咲き続けた天然記念物「吉木のヤマザクラ」が倒木してしまいました。その命を惜しみ、添田町役場が中心となって山桜を彫刻として再生させる取り組みが行われました。私は英彦山山伏の子孫であり、そのご縁から彫刻制作の部分で協力をしました。英彦山山伏は、木や水など自然を神仏として崇敬していました。何百年も愛され、地域の方々の心の支えとなってきた山桜。木と人間が愛と尊敬で結ばれた関係は、これからの自然との共生のあり方を示唆しています。
吉木の山桜で制作した「花開(はなびらき)童子」は英彦山49窟のうちの第19窟「花園窟」の守り神です。不動明王脇侍(きょうじ)「矜羯羅(こんがら)童子」をモデルにしています。英彦山の「彦山仁王教曼荼羅(まんだら)」に描かれている矜羯羅童子は、「花(蓮華)」を頭にのせているところから、山桜を連想できるものとして、この意匠を参考にしました。
もう一躰(たい)は「福太郎童子」で、朝倉の災害流木を使っています(→杷木小学校に寄贈した龍を彫った木材)。福太郎童子は、第9窟である天上窟(英彦山山頂付近)を守っているとされています。英彦山山頂の力強い風や水の流れを表現しようと考えました。
制作にあたって、300年少しずつ成長した山桜はとても硬く、また制作中に乾燥によるねじれや割れが生じ、苦労しました。しかし彫りすすめるにつれて、なんとも言えない品のよい美しい木肌があらわれ、その素晴らしさに魅了されました。もともと山桜は大好きな花でしたが、その美しさは、すでに幹に内包されていたことを指先で実感しました。
桜は、見上げて鑑賞することが多いため、記憶に中にある桜の背景には「空」があります。そして、咲く姿とともに、その散りゆく姿が人々に深い感情を呼び起こします。桜を見上げるときに、どこかで「命」のことを感じているような気がするのです。「来年もあの桜が咲いてくれる」と思うことで救われてきた人々の「祈り」が託されているからこそ、桜は美しいのかもしれません。ヤマザクラの命がこの彫刻の中で生き続け、人々の祈りを空に届けてほしいと心から願います。